Round-U/015


 重苦しい沈黙の上に、さらに圧し掛かる内容が空気を澱ませる。
「多くの犠牲が生まれた、というのは言葉通り、この二百年の間に大勢の生贄が差し出されたということだ」
「それは……僕みたいに、異世界からやってきた人……?」
「いえ。公にはされていないけれど、国内にも」
 眩暈がした。
 日本でも大昔、人身御供という生贄を差し出す宗教や伝承は多かったけれど、まさかアルトメリアに適用されているとは思ってもみなかった。しかもそれが結界という、隔絶した世界を作るためという事実が目の前にあるのだから、嘘や方便でないと知れる。結界の維持の代償が人間の血液だと聞いて正気を疑う。
 何故。どうして。そんなことになっているのか。
「なんで結界なんて張ってるの。以前はそうじゃなかったみたいな口ぶりだったじゃない」
「……二百年前に。小競り合いでは済まされない戦争が、隣国と起きた」
 ディーは顔を覆ったまま、静かな口調で告げた。
「数年に渡るそれは均衡状態を保ったままだった、そのまま停戦条約を結べるか否かの間際だったらしい。けれどそれはアルトメリアの国王が謎の死を遂げたことで一気に劣勢となった。国内は荒れ、それは士気にまで関わり、総崩れし……敵軍の魔の手が襲いかかろうとしたそのとき、奇跡が起きたんだ」
 その先は言わずとも理解した。結界が張られることで、敵を除外することに成功したのだ。
 それが良かったかどうか、戦争を知らない鴇夜にはわからない。しかしそれ故に革命軍なる彼等がいるという事実が、歪みの象徴に思えた。
 隣国に敗戦するのが、本来の未来だったとしたならば。
「その結界というのは、僕はこの世界の理屈を知らないからわからないけど、通常ではありえない手段なんだよね?」
「だからこそ、奇跡なんだ。けれどそれが結果として、ある宗教団体の力を増大させることになった」
 顔を上げたディーは、沈痛な面持ちでぐっと拳を握りしめた。
「彼の教団の名は≪神の御許≫。この二百年で王権を凌がんばかりに発展した、今ではアルトメリアの要といえる存在。結界を施したのが彼等であり、民衆の心を掌握する団体」
「≪神の御許≫、ね」
 鴇夜にしてみれば、そのような名前をつける集団を怪しいと思いはすれ、崇めようとは到底思えないのだが、そこは観念の違いなのだろう。それに、国の危機を救ったという歴史的事実が二百年前。生存する人間はいないが遥か昔というわけでもない。恩恵に頭を垂れる人数は少なくないはずだ。
 鴇夜の世界からしてみれば十九世紀、文明開化の時代であり、その後の戦争のことを含めてそう縁遠い話ではない。それらと同じ感覚ではないだろうか。根本を変えるには充分な時間が経過している。≪神の御許≫が国内に伝播するのも、事が事だけに早かったにちがいない。
 ティーカップに注がれた飲み物を、ようやく口に運ぶ。すっかり温くなっていたけれど、程よい甘さが染み渡り、数日分の疲労を思い出させた。無意識についた溜息を耳に留めた彼等の纏う重い空気が若干軽くなった。
「質問がなければ、話は後日にして今日はゆっくり休んでもらっても構わない」
「質問なら、まだある」
 自覚すると一気に押し寄せる疲労が、優しい声音の誘惑に飲まれそうになるも、鴇夜は首を横に振って口を開いた。
「二人が何故日本を知り、そして日本語を喋れるのか。そしてアルトメリアで日本は一般的に認識された存在なのかどうか」
 鴇夜の住む世界をなんら疑問に思うことなく受け入れるその理由を、気にならないはずがない。なんだかんだ言って、知り合いが誰一人としていない異世界に来てしまい、心細い気持ちは多少ある。少しでも接点があるのなら、知りたいと思うのはやはり故郷のことだからだろう。
 その質問には答えられるらしく、あっさりと口を割った。
「そのことか。キュ=セリエという世界とあなたがたの住む地球という世界は表裏一体、光と影のような関係、寄り添うように存在しあう別々の世界」
「だけど僕はお前たちの世界を、ここに来て初めて知った」
「あちらではどうか知らないけど、キュ=セリエの住人で地球を知るのもほんの一部しかいない。そして……異世界人が落ちてくるのは、場所によっておおまかに決まっている。アルトメリアに来るほとんどが日本人だ。日本語を喋れるのは、彼等の文化のほんの一部がこちらに取り入れられているからで」
「待って。ちょっと待って」
 鴇夜は手の平を突き出して制止した。もう一方の手を米神に添えて、考えを纏めながら言葉にする。
「その言い方だと、僕みたいに連れられてきた人達以外にもこちらに来てしまう日本人がいるみたいに聞こえるんだけど」
「いるな」
 これまたあっさりと肯定されて、驚かないはずがない。
「いや、いたというべきか。ここ二百年ではそういった記録が見当たらない辺り、これは推測の域を出ないが、さきほど話した結界によってすべて遮断され、仮に来ていたとしても結界の外の可能性が高い」
「一部しか知らないって言ってたのに、ディーはやけに詳しいんだな」
 その他に事情についても、なにひとつ知らない鴇夜が聞いていても、相手の情報量は半端ないと思われる。
 ディーは返事の変わりに、ゆるりと微笑んだ。それには答えられないということか。
 追求すべき内容でもないので、すぐさま言葉を繋ぐ。
「日本語が取り入れられているのはわかった。それがアルトメリアでどのように、どれくらい認知されているのか。それと何故、日本人しかアルトメリアに来なかったのか」
「日本人しか来ない理由はわからない。なにぶん異世界を知る人間が少ないだけにこれに関しては情報が少なすぎるんだ。とりあえず私達がこれだけ日本語を喋ることができるのは、クロサキさんと接触を図るために練習したこともあるけれど、そもそもアルトメリアで扱う人は限られている。少なくとも一般人の中にはそういないんじゃないかな。この国で使用できると断定できるのは、貴族階級の高い地位について教育を受けた者、隠れ里に住むといわれるシノビと呼ばれる者、そして≪神の御許≫の一部といったところか。だけど学ぼうと思えば学べるようにはなっているな。教科書や辞書といった書物は山とある」
「なるほど……」
 シノビという単語が鴇夜の世界にいた輩と同じ響きをしているだけに、もしかしたら遠い過去に異世界人とやらがこちらに来た可能性を示唆する。どちらにせよ今の鴇夜にはあまり関係のない話だ。
 鴇夜はおおまかに一通り聞いてひとまず満足し、肩の力を抜いて背もたれに深々と寄りかかった。
「クロサキさん」
 呼びかけに横目を遣った先で、彼等が未だに真剣な顔を崩していないことに気付く。体勢は変わらぬものの、鴇夜の顔も少しだけ硬くなった。
 そして告げられた内容は、今の鴇夜がもっとも必要に駆られ、為さねばならない一歩なだけに反論は一切なかった。
「あなたには明日から特訓を受けてもらう。これにあなたの意思は反映されない。あなたにはアルトメリアの常識を知り、己の命の重さを知り、≪神の御許≫に膝を屈しない意思をそなえなければならない」
 ――双子の妹を生き返らすためならば、どんなことでもしてみせると自分自身に誓ったのだから。


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