Round-U/014


 喉を潤す飲み物は、仄かな甘い芳香と味わいをもたらすも、すっかり冷めて温くなっていた。
 鴇夜は割り当てられた小部屋の硬い寝台に腰掛けて、脇に置かれた棚に用意されたそれを啜りながら、前方の薄らと発光する壁を眺めていた。時間差で徐々に暗くなる仕様になっているらしく、蝋燭に灯した明かりが反対側の机の上で揺れている。入口の方角からは、密やかな人の気配しかせず、地下層だから判断がつきにくいが夜も更けているのだろう。
 鴇夜は冴えてしまっている目をそうっと瞑り、先刻まで一緒にいた男達を思い浮かべる。
 相手が彼に突きつけた事情は、おとぎ話のような甘さはなく、血生臭い現実を覚えさせた。死という単語を思い浮かべるたびに、胸のうちに重たい鉛が降り積もり、肝を冷やしていく。この世界は現代よりも死に近い場所なのだと、焼き焦げた遺体を――直接的に人が死に絶える姿を目にした瞬間にわかっていたはずなのに。
 日本に帰らない限り、いつか自分もこの手を血で染めるかもしれない。
 愛しい妹を殺した、殺人犯の澱んだ眼を思い出して、鴇夜は額を両手に預けて目蓋を閉じた。





「前もって言っておく。我々は貴方の命を奪わないという意味での味方にはなるだろう」
「では、最低限の安全面だけは保障してくれるんだね」
 捻くれた解釈をすれば、それ以外では信用できないということになるが、命の危険性が減っただけでも大変ありがたい。懇切丁寧に宣言してくれる辺りに怪しさ満点と思わなくもないが、それは彼等の話がすべて終わった後で存分に疑えばいいだろう。
「……クロサキさんは本当に変わった方だな」
 ディーは微苦笑を交えて突拍子もないことを言う。それにはイズラも同意らしく呆れた風に手をひらりと振る。
「無駄に勇敢で無謀なお子様なんだろ。そうじゃねぇと俺らに大人しく従わねぇっつーの」
 彼等にしてみれば、こうまで従順な鴇夜の態度を不審に思うのも無理からぬことなのかもしれない。そこは現代人らしい甘さと日本人の曖昧に濁そうとする気質の為せる技のような気がしなくもない。だけどそれにしては落ち着き払い過ぎている自覚はあるので、そこは適当に誤魔化すしかない。
 ――なにが起ころうとも、自分から踏み込んだ世界を否定する気はない。
 そのためには、否応なく冷静さが必要となる。取り乱していてはやっていけない。
 こういうとき、鴇夜は自分が機械仕掛けの人形になったような気分になる。
 体温のない、心のない、無機物。
 だけど物事を都合の良い方向に考えられる辺りはやはり人間なのだろう。
 雛夜が消えたあの日から、鴇夜の螺子は狂ったままなのだ。大抵のことで感情が揺れることはない。
「子供なのは認めます。それよりあなたたちの国の現状について教えてほしいのだけど」
 即座に話を引き戻し、ディーはああ、と頷いた。
「……この世界の名前をキュ=セリエ――古代語で世界という意味を持つ。アルトメリアの現状は遥か昔の時代と関連しているんだ。遠い過去、僕たち人間が主立っていない時代、キュ=セリエは古代人が支配する世界だった。人間は奴隷のような扱いだったと聞く。古代人の特徴には、遥かに優れた知能だけでなく、自由自在に能力を扱えたことが挙げられる」
「能力……」
 先刻の炎を思い浮かべる。
「クロサキさんに見せたさっきのがそうだ。とはいっても、私達が使える能力なんて些細なもので、彼等には遠く及ばないものだろう」
「能力って、古代人が使えたものなのに、なんで人間が使えるの?」
「そら、あれだよ」
 イズラがはっと嘲るように笑った。
「混血。――この意味、わかるだろ? アイツラは人間を性欲処理にも使ってたっつーわけ」
「イズラ!……まあ、彼の言い通りなのだけど。私達はあまり良い扱いをされていなかった。けれどそのおかげで人間のなかには時折、能力者と呼ばれる人達が誕生するようになった」
 性欲処理。
 あまりに生々しく、だけどそれだけに良い扱いをされていなかったことぐらいは容易に想像がつく。
 彼等は人間と似た形態をしていたと考えるべきだろう。異種間の交わりはどの世界でも敬遠される。例外はない。
「古代人は人間を遥かに超越した知能と能力を持っていた。故に自滅した。我欲に走り高度すぎる発展に伴う滅びの道を突き進み、最期は互いを殺し合うことで死んだ。そして奴隷として生き残った人間が今、この世界の中心にいる」
 皮肉な話だ、と囁かれる。
「……このアルトメリアは彼等の中枢だった場所だ。おかげで数多くの遺跡や武具が残されている。能力者にとっては宝庫といえる土地ともいえる」
 ディーの視線を受け止め、イズラがホルスターに収めていた銃の片割れを机上に置いた。
 黒い光沢を放つ、金銀の複雑な紋章を施した華美な銃だった。弾を補充する膨らみが手の平サイズの大きさで、銃口に掛けて細く伸びた不思議なフォルムをしている。
「これが武具だ。そこらの武器とちがい、能力者専用に造られた過去の遺物。今の技術じゃ造ることすら敵わねぇ。触れんなよ、爆発すっから」
「嘘をつくな。まあ、イズラの言う通りな上に、現在ではこれのようなまともに機能する物はほとんど残されていないんだ。この遺跡も地下だから残っていたものの崩れた部分が多少存在する」
 室内に視線を配るディーの眼差しは厳しく、これらの遺物をあまり好いていない印象を受ける。能力者である当人が、こういう顔付きをするほどの出来事がこれらにはあるということか。
「アルトメリアはそのおかげもあって、キュ=セリエで大国と呼ばれるまでに発展した、隣国と並ぶほどに。それだけに争いが絶えなかった。戦争とまではいかずとも度重なる戦いがあった。今から二百年も前のことだ」
「二百年も前ということは、今はそんなことがないと?」
「そう、ない。その代わりの代償が大きすぎた」
「代償……」
 鴇夜はその単語を舌の上で転がし、決して良い意味に捉えられないそれに眉根を顰める。ディーは厳かな口調で告げる。
「箱庭の世界に閉じ込められ、多くの犠牲が生まれた。アルトメリアはキュ=セリエから孤立した国になった」
 それはどのような意味合いを持つのか。
「この国はなぁ、出られないわけよ」
「出られない?」
 イズラは皮肉げな口端をますます釣り上げた。
「言葉の通りだ。ある一定の境界から結界が張られていてな、内外共に侵入を果たすことは許されない篭の鳥状態だ。それで二百年も経ってんだ、さすがに色々思う奴も生まれるだろう?」
「それが、私達だ」
 力強く、決意に満ち溢れた凛とした声音が引き継いだ。
「私達を、人は革命軍と呼ぶ」
 ――私は貴方の願いを叶える力を持っています。貴方の世界を変える、革命的な力。
 不意にウサギの言葉が脳裏で甦った。
「……ウサギも、革命と言っていた」
「ウサギ?」
「いや、……革命というのはつまり、結界を解くことが最終目標、というので正解?」
「そういうこと。今ならまだ間に合う。人がこの世界の在りように疑問を覚えている間ならまだ手立てはある」
 鴇夜はティーカップに刻まれた紋章に触れて、朧げに繋がりつつある考えをふと呟いた。
「宗教……象徴?」
 男達がはっと息を呑んだ。
 図星か、と小さく吐息をつく。
 怨恨深き感情の矛先は、革命軍が狙う標的は、二百年前に起きた出来事の根本はそこにある。襲撃された神殿――鴇夜が最初にいた場所も、間違いがなければ宗教というに相応しい場所だ。
「そこでなんで僕が連れてこられたのかがよくわからないんだけど」
「貴方は、本当に察しが良い。それにとても冷静だ」
 鋭い眼光が鴇夜の横顔に突き刺さった。柔らかい声音に頑なさが張り詰め、溜息をつきたくなる。
「……僕は警戒されるほどまだ、なにも知らないよ。だからこうして聞いているんじゃないか」
「そうじゃない。私は貴方が何故これほどまでに冷静なのか、ずっと考えていた。突然知らない場所に連れてこられたばかりの貴方を拉致したというのに、感心するほどに落ち着いている。逃げる素振りも見せない。何事にも興味がないのかと思えばそうではなく、むしろ関心を寄せる様子を見せる――」
 数泊を置いて、重い空気を振り切るようにディーは言葉を繋いだ。
「なんというか、貴方はまるで他人事のような遠い眼差しをするね」
 不意に、心の奥底を覗かれた気がして、ひやりとした。彼自身にも思うところはあるからだ。真正面から指摘されるのは初めてで、僅かに瞠目する鴇夜に対して、ディーは真剣に言い募った。
「それでは困るんだ。貴方にはがむしゃらになっても生きてもらわねばならないから」
「なにを言ってるの。僕は死にたくなんてないよ。無駄に命は落としたくない」
「無駄じゃなければ?」
 鴇夜は口を閉じた。
「貴方にとって自分の命はなにより優先すべきものでないように思える。軽んじてはいないようだけど、もし貴方の願うものと交換だと言われたら簡単に差し出すような気がする」
 雛夜の命が彼のすべてを持って引き換えだと言われたら。
 ――答えなんて、決まっているじゃないか。
 鴇夜はためらいもなく命を散らすだろう。愛しい半身のために。
 口に出さずとも、無意識に浮かんだ微笑がなによりも答えを語っていた。
 ディーの表情が翳りを帯びた。両手で顔を覆い、背中を丸める。悲痛を押し込めた様子は痛々しすぎて、なんて言葉を掛ければよいのかわからない。
「……こういうことか。だから今まで沈黙を保てたわけだ」
「胸くそ悪ィな。決して逆らわない奴を選定して連れてきてたっつーことか」
 ずっと黙っていたイズラも、苛立たしげに髪を掻き毟りながら舌打ちした。どういうことか理解できず、首を傾げる。
「どういう意味ですか?」
「貴方が貴方であるが故に選ばれてしまったということだ」
 疲れきった溜息を共に告げられた。
「貴方がこの世界に連れてこられたのは、箱庭の世界を保つために提供しなくてはならないものを差し出すため」
 ――それは貴方一人分の血液なんですよ。
 締めくくる言葉には、流石の鴇夜も絶句した。


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