Act.2-13


 ――幼い頃に出会ったのは、魔法使いだった。
 階段から落ちていく、小柄な背中を呆然と見送るしかない自分を、どうか許してほしい。
 憧憬と嫉妬が入り混じるこの執着を、どうか許してほしい。
 君に出会わなければ、僕は現実に足をつけて、狭い世界で生きていくことが出来たのだから。


 背中を強打する、硬い壁の感触に、息を詰まらせた。
 囲む数名の女子生徒の眦は釣りあがり、険悪な空気を醸し出してヒバリを威嚇している。可愛い顔をしているのに、もったいないと残念がるのは、彼女自身に余裕がありすぎるからだろうか。反射的に閉じた瞼を上げる。憤怒に染まる女の群れが視界に入る。
「あんた、喜嶋くんとどんな関係なのよ?」
「なにってそら、先輩後輩の仲ですけど」
 それ以外なにがあるんですか? と言う眼差しを向けると、忌々しげに顔を歪めるのだから、彼女の返答を信じていないのだろう。それとも、喜嶋と戯れること自体に腹立たしさを覚えているのか。どちらの予測も正解かもしれない。なんにしても迷惑なことには変わりないけれど。
 こんなやりとりをしたのは、なにも彼女達だけじゃなかった。幾度目にもなる呼び出しに応じて、そのたびに同じことしか問い質さない乙女心を、近頃では哀れとしか思えずにいる。そもそも根本の原因が、彼女達の嫉妬を煽っているのだから始末に終えない。人目を憚らず声をかけてくるようになったものだから、全校生徒の女子の阿鼻叫喚が、非難がこちらに降りかかってくるようになったのだ。
 理事長室に赴いてから早二週間、季節は衣替えの時期に入り、ヒバリも周囲に倣い半袖のセーラー服にワンサイズ上のカーディガンを羽織っている。肌寒いような、生温かいような、湿気が漂う空気は体温調節を著しく狂わせ、無性に苛々させるのだからいい加減にしてほしい。ヒバリには周囲の私情に付き合っている義理も暇もないのだ。
 定番の体育館裏にて、薄暗い空をぼんやりと仰ぎながら、今後の予定を脳裏に浮かべる。
「――って聞いてるの!?」
「え? ああはい、聞いてましたよ」
 女子生徒の怒声で意識を切り替えたヒバリは、堂々と嘘を吐いた。適当な態度で怒りを煽るのは得策でないことは百も承知なので、最近よくやる手をとることにする。溜息混じりに口を開いた。
「だいたいですね、わたしは会長のことをなんとも思っていませんし、単なる先輩後輩の付き合いにどうこう言われる筋合いはないと思うんですけど」
「喜嶋くんのこと、本当になんとも思ってないって断言できるのっ?」
「できます。興味ありません。それだったら幼馴染と噂が立ったほうがいいです」
 淡々と答える口調は澱みなく、彼女達を見据える眼差しは冷静すぎるほどに冷めている。それに気付いた彼女達にうち数名が怯みを窺わせる。ようやく見えた突破口をヒバリは逃さない。
「会長はたしかに魅力的な人だと思いますが、わたしが好きなのは会長じゃなくて幼馴染の方なのでご安心を。むしろ幼馴染じゃなくて会長と噂が立っていると、こちらとしても困るんですよね。幼馴染にいらぬ誤解を招きたくないですし、それでぎこちなくなったら本末転倒ですし」
「え! アンタ、武元くんのことが好きなの……?」
 恐る恐る、といった問いかけに、ヒバリは迷いようもなく肯定した。恋愛感情じゃないけれど、という補足は心中に留めておく。だぶだぶの袖口で頬を押さえて、心底憂鬱そうな表情を作る。
「幼馴染って本当に困るんですよね。なまじ距離が近すぎて気付いてもらえないので」
「そ、れはお気の毒ね」
「どうしたら振り向いてもらえると思います? 一度迫ったほうがいいんでしょうか。でもそれで離れていかれると悲しいですし」
「たしかに告って距離とか置かれると気まずいしイヤだよね」
「それならそれとなく意識させるようにスキンシップを増やすとかすればいいんじゃない? 男なんて所詮単純な生き物なんだから」
 徐々に相談所のような雰囲気に変化していくのを、意図して話題を転換させたヒバリ以外気付いていない。ほくそ笑む内心など微塵も見せず、教えを乞うひたむきな態度で言い募る。
「スキンシップ、ですか。例えばどんなのがきくと思います?」
「そうねぇ、いきなり押し倒すのは刺激が強すぎて拒否られそうだし、甘えるように腕を絡めてみるとか」
「胸を押し付ければ鼻の下伸ばして、ちょっとは女だってわかってくれるかもよ?」
「なるほど、参考になります。帰り道にでも実践してみますね」
 幸か不幸か同年代より幼い容貌であるがために、ちょっとばかし弱気な態度を見せると周囲はいとも簡単にほだされてくれるのだ。その筆頭が幼馴染なのだから、まったくもって笑えない。そしてそれを有効利用している彼女自身もどうしようもない。
「それじゃあ頑張るのよ!」
「早くくっついちゃいなさい!」
「ありがとうございます、頑張ってみますね」
 別れ際にはすっかり応援モードとなって見送る女子生徒に対して、ヒバリはお辞儀をして背中を向けた。
 今回はいい人達の部類やったなあ、なんてどこか微笑ましい気持ちを覚えて、胸の辺りに手をあてる。中には人の話を聞かずに罵詈雑言を繰り広げる輩も含まれていたので、処理するのにどれほど苦労したことか。そろそろ生徒会長にのしをつけた慰謝料を要求してもいいかもしれない。
 なんてことをつらつら考えながら角を曲がったところで、ヒバリは足を止めた。
 目の前で幼馴染が頭を抱えてしゃがみこんでいた。
「アズ、なにやっとんの」
「なにやっとんの、じゃなくってさーァ。ヒバリがなにやってんのよ」
「懐柔」
「ああうん……もういいや。帰ろうか」
 ひどく疲れた様子でのっそり立ち上がるアズの背丈の差を、憎たらしく感じて蹴り上げると「なにすんの!」と叫ばれた。そのヘタレた顔を見上げて、納得げに首を縦に振った。
「わたしとアズがくっつくなんて世界滅亡の危機に陥っても可能性はないなぁって」
「手厳しすぎるっ。とゆーか、それと蹴ったのとどういう関係があるのさ」
「想像したら胸糞悪ぅなった」
「それおれまったく関係ないよね!」
 理不尽だ! と突っ込む声を丸無視して新校舎の方角へ歩みを進める。
 なんにしてもヒバリの機嫌は下降の一途を辿っている。理事長の息子関連の問題も腹立たしく思うが、なにより彼女に地団駄を踏ませているのは別件である。
 先月、前触れもなくやってきた子供と、ある約束をした。
 この世界ではない、次元を超えた異世界――ファルナーサスに帰してやると。
 それなのに事態が進展するどころか停滞したままの現実に、悔しさを覚えずにはいられない。第二図書室の、彼の魔術陣と繋がる扉は、一度閉じたら最後、頑なに開かずにいた。


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