Act.1-12


「はじめに、今回呼び出したのは鷹槻から連絡が来たからなんだ」
 理事長から敬語をなくしてもらい、ようやく切り出された内容は、ヒバリの予測範囲内だった。内心深い溜息を落としつつも、顔には出さず「そうですか」と相槌を打つ。
 ヒバリはウルヴァーンが来た当日に、半ば強引に魔術を発動させ手紙を祖父のもとに転送させていた。記された内容は言わずもがなである。異世界人が来たという珍妙な出来事に、流石の放浪者も好奇心丸出しで帰宅するかと思っていたのだが、ヒバリが意識を取り戻してからも音沙汰すらない。
 とはいっても欠片たりとも心配はしていなかった。むしろ祖父に巻き込まれる相手側に同情している。こうしてヒバリに連絡すらしないのも、どうせいつもどおりしち面倒臭いからだろう。祖父はそういう男だ。付き添う龍も祖父に振り回されてそれどころではないのかもしれない。
 だからこうして喜嶋家に連絡をとったという行為自体に物珍しさを感じていたりする。
「彼等は現在多忙らしく帰国するのに一ヶ月そこらかかるそうだ。誰の助けもないことを心配している様子だった、だから僕らに委託したのだろう。魔術師としての血は限りなく薄いけれど、この学校で起こったことだからこそ手伝えることもあるからな」
「喜嶋家が祖父と魔術師関連で付き合いがあると窺ってはおりましたけど、ご子息からそのような話を振られたことがありませんでしたのでいまいち確信を得ておりませんでした」
「そうだろう、僕らと君らの付き合いは特殊だから」
 理事長は足を組みなおしつつ言葉を続ける。
「魔術師がこの世界にどれだけいるか、二人は知っているか?」
「香月家のほか、ですか」
 そういえば、と思う。ヒバリは魔術師になるための知識は蓄えてはいたけれど、それ以外はてんでからっきしだった。特に困ったことがない上に、魔術師自体が隠れ住む存在なため、深く追求したことがない。
 指で顎をなぞりあげながら頭を回転させるその隣で、アズが当然の如く答えた。
「ほぼいないに等しい、ですよね」
「そうなん?」
 いない、と幼馴染は言い切った。驚愕するヒバリを横目で見て、苦味を含んだ表情で頷く。
「あっちの世界から魔術師と龍族がやってきたことはヒバリも知ってるよね。つまりファルナーサス産」
「そんぐらいはな」
 そうでなくてはヒバリが生まれていない。
「現代の龍族は姿を変えて人間と交わってたりもするのもいるからそれほど凄まじい力を持つわけじゃないけど、知識量は変わらず半端ない。次元を渡ることもやろうと思えば可能なんだ、簡単じゃないけどね。けど人間は違う。寿命も含めてすべてが下回る。だから次元を渡るなんて芸当を行える人間なんてあっちでもほんの一握りだよ。数百年に一人の天才といってもいい。例えば……そうだな、龍族の力を借りても簡単にできることじゃないね」
 龍族は可能で、人間は限りなく不可能に近い。それなのに地球上に魔術師は確かに存在している。香月雲雀という少女が魔術師である事実は、覆しようのない現実だ。
 ヒバリは眼鏡の縁をあげながら、正面に座る理事長を見据えた。
「……喜嶋家で魔術が実際に存在すると知るのは、どれほどいるのですか?」
「僕の父親の代から跡継ぎの男子のみが引き継いできたから綾人も含めて三人。例外は僕らを補佐する右腕……秋月のような存在だけだ、妻も知らない」
 理事長の背後に佇む秋月と視線がぶつかる。柔らかな微笑を返された。
「香月と喜嶋の付き合いが特殊だというのは、第二図書室の管理に関係しているんですよね」
「きっかけはそう。うちの父と鷹槻が出会ったのもこの場所なんだ、二人が何をしたかは詳しく知らされていないのだが……。地球産の人間は魔力と縁遠く、素質がないとみなされている。これは鷹槻に付き添う龍族から聞いたから確かな話だ。けれど喜嶋家は不思議なことに微弱ながら素質があった。とはいっても訓練していないから普通の人間と変わりない。これは証拠も何もない憶測だが、遠い過去にうちの家系が君たちと子をなしたのかもしれない。……ああそうだ、うちの綾人も悪くないと思うんだけど、どうかな?」
「はっ?」
「お・と・う・さ・ん!」
 喜嶋は相変わらずの王子様スマイルだが、その額には青筋が浮かんでいた。正統派美形なだけに凄まじい。
 一体なんなのだろうとアズの方へ目配せするも、気にしなくていいとばかりに肩を叩かれた。追求したところでろくでもなさそうだと鋭い勘も働き、ヒバリは何事もなかったかのように最初の話題に戻した。
「手助けしていただくのはありがたいと思うのですが、祖父はあなたたちになんと話したんですか?」
「何、とは?」
 ヒバリは祖父には包み隠さず伝えたけれど、祖父が彼等にどこまで協力を要請したかは定かでない。含みのある物言いに数拍を置いた後、淡々と告げる。
「……理事長、手助けしてくださるというのなら、早速頼みがあるのですが」
「なにかな」
「休日も旧校舎に入れるようにしていただきたいんです。できれば人目のつかない方法で」
 土日に空いているのは一部のみで、基本的に校舎は堅く閉ざされている。警備に頼めば開けてもらえる場合もあるが、自称図書委員の立場ではそれも難しい。なにより休日ならばウルヴァーンをあの場所へ連れていくのが可能になる。連れ出した時、気を失っていたウルヴァーンと魔術陣をふたたび接触させることでなにかしらわかることがあるかもしれない。
「それなら旧校舎の非常階段口の合鍵を作っておこう。綾人から貰ってくれ」
「わかりました、ありがとうございます」
 頭を下げるた先からくぐもった笑い声が聞こえた。理事長は心底可笑しげに喉を震わせていた。
「やはり鷹槻のひ孫か、あからさまとはいえ易々と挑発に乗るような性格をしていない」
「いや、祖父の影響というよりは相方が挑発に乗りやすい性格なので、自然と制する側に回るようになった結果ですね」
「うっ……これでも昔よりはマシになったんだよ」
「うんわたしはアズのことを言ったつもりはないんやけどね」
 墓穴を掘りぐぅの字も出ない幼馴染を尻目に、ヒバリは席を立った。
「それじゃそろそろ教室に戻らせていただきますね」
「もう行ってしまうのか?」
「昼休みが終わってしまいますので」
 昼飯をまだありついていないのだ。この状態で放課後を迎えるのはさすがに辛い。ヒバリの用件は既に済ませたので、向こうも特に何もなければ後は戻るだけである。
「学生の本分を忘れないのはよいことなんだがなぁ……ようやく会えたんだからもう少しだけ話をしたい」
「ヒバリ様のご迷惑になることをなさっては嫌われてしまいますよ」
 いい年をした大人が渋る姿はシュールであり、まして部下に窘められている光景はなんとも微妙だった。
「途中まで一緒に行かせてもらうよ」
 喜嶋は父親の醜態に呆れた一瞥を送った後に扉へ向かうヒバリ達の後に続く。部屋を出る前に、ヒバリは目の前に立つ二人にもう一度お辞儀をした。
「喜嶋家には今後、なにかとお世話になるかもしれませんけどよろしくお願いします」
「可愛い女の子は大歓迎だ」
「こんなお人ですけど、役には立ちますから御用があるときはいつでも綾人君を通じておっしゃってくださいね」
「はい、ありがとうございます」
 穏やかな眼差しに対し、愛想ではない自然な笑みが口許に浮かぶ。大人二人は好々爺の如く目尻を下げて三人を見送った。
 教室に戻る道中、喜嶋は言葉に形容しがたい複雑な表情で言った。
「父はずっと君に会いたがっていたんだよ」
「そうなんですか」
「すっごい嬉しそうだったもんなぁ」
 空き教室に掛かる時計を確認したところ、あまり余裕はなさそうだが、寄り道をしなければ五限の授業には間に合うだろう。ヒバリは弁当を諦めて途中の自販機で腹に溜まる飲み物を買うことにした。
「香月鷹槻の影響は喜嶋の男にとってなかなか大きくてね。僕も一度だけ会ったことがあるけど、あの人ほど自分に正直で……そうだな、魔法使いだと憧れなかったときはなかったな」
「……見せたんですか」
 魔術を。
「うん。小さい頃に見せてくれた」
 新校舎に渡り、階ごとに設けられた休憩所のような場所で足を止める。通路の両脇にある木製ベンチから視線を自販機へと移し、何を買うか思案する。横から細い指が伸びて、ちゃりんと硬貨を入れる音がした。指先を辿り、麗しい顔がこちらを覗き込んでいるのに気付く。
「会長もなにか飲むんですか?」
「いや、奢り。父の予定が今しか空いてなかったとはいえ、ご飯を食べ損なう結果になってしまったしね」
 どうやらヒバリが腹を空かしていることに気付いていたらしい。
「そういうことなら遠慮なくいただきます」
「会長ォ、おれも付き合わされたんだから奢ってね」
「男女平等なんて僕の辞書にはないし厚かましい人は好みじゃないんだ」
「百五十円ぐらいでケチくさいな!」
 騒ぐ二人を無視して粒々オレンジジュースを購入。プルタブを開けてちびちびと口をつける。喉を潤す爽やかな旨味を味わいながら、そういえばと岩瀬からの快気祝いのお菓子を思い出し、帰ったら貰おうと考える。
 結局、喜嶋はアズのあまりのしつこさに押し負けて奢る羽目となり、階段で別れるまで二人の言い合いは終わらなかった。それを傍観するうちに、喧嘩するほど仲が良いという言葉が当て嵌まるのではなかろうか、と思ったのは秘密だ。


 教室に戻ってから煩わしさは一層増した。女生徒の憧れの的である生徒会長と知り合いである事実に目の色を変える者は少なくなく、普段ヒバリを遠巻きにしている生徒達がこぞって詰め寄り質問を投げつけてくる。
 岩瀬と二人でゆっくり談話する余裕もなく、放課後を迎えたヒバリ達は、学校に居続けるのは無理だと判断して颯爽と逃げ出した。予想以上に喜嶋効果が大きいことを考えての処置である。
「図書室行こうと思っとったんになぁ。場所探られたら今後支障をきたすしどうするかな」
「合鍵もらったら今度からはそこから出入りするようにすればいいんじゃない?」
「ああ、たしかに微妙な場所なだけにバレはせんやろうな」
 電車を降りて、駅周辺の自転車置き場に預けてある赤いママチャリの鍵を外す。アズは学生鞄とは別の袋からピンクの花柄クッションを取り出して後ろに設置していた。そして互いの鞄を籠に入れたところで自転車に跨る。
「さ、お姫様後ろにどーぞー」
「おまわりさん来たら即効降りんとな」
 ヒバリはクッションに横座りしてその着痩せする引き締まった腰に腕を回した。
 常に一緒の二人は、駅から家まで遠距離の都合により自転車を使用している。一台しかないのは、単純に早朝トレーニングをした後にちょっとした運動もしたくないヒバリの甘えであり、滅多にない頼み事を嬉しがるどうしようもないヘタレという両方の合意の元からだ。
 相変わらずの馬鹿げた体力を発揮して徒歩数十分の距離を一気に詰めて到着した自宅では、問題の子供が大人しく語学の勉強に励んでいた。というより、リビングの三人掛けソファで寛ぎながら目の前の液晶テレビで映画を見ていた。硝子テーブルには見終えたのだろうDVDの山が積みあがっている。
 家にはウルヴァーンしかいないらしく、広い空間なだけに異様な静けさを保ち、唯一画面から流れる音声だけが浸透している。部屋に踏み込んだ瞬間、長い睫毛を揺らしてウルヴァーンが背後に立つ二人に顔だけ振り向けた。
「おかえり」
 小首を傾げてゆるりと微笑む姿は気品すら漂い、この洋館に異様にマッチしている。
「ただいま。これってあれやね、父さんの小説が映画化したの」
「あんましこの俳優好きじゃないんだよな、イメージに合わないしさーァ」
 目白は国内で活躍する有名な小説作家の一人として数えられている。大学時代に芥川賞をとり学生作家としてのデビューを果たし、好青年な見目も含めて当時は騒がれ、以降数々のヒット作を執筆し続けている。
 そのなかで、これは両親をモデルにした恋愛小説を映画化したものだ。高い文章力は勿論のこと、普段は淡々とした文章表現が、この『春の息吹』に関してだけはその心理描写の深さに誰もが共鳴し胸を熱くさせたという。ヒバリ自身は自分の両親なだけにしみじみした気持ちになっただけだが。彼女の名前もそこから由来しているので余計に感慨深い。
 両親に似ても似つかない男女が仲睦まじく冬の並木道を歩くシーンが流れるのを、ヒバリはなんともいえない表情で眺める。アズも飽き飽きするぐらいに鑑賞させられたせいで若干うんざりしている。その横顔にちらりと視線を投げ、理事長室で交わした会話を思い返した。
 魔術師が、この世界でほとんど生息していないという事実。アズの言うことが真実ならば、ウルヴァーンを返す方法を解明できるのは自分達だけということになる。当てはないに等しい。彼女の魔術師としての素質は、龍族に見出された時点である程度具えていると確定している。後は己の未熟さをいかようにして埋めるかだ。
「ウルヴァーン」
「なに」
 彼女より数歳年下の子供は、奥底を読ませない術を持つ侮れない性格だけれど、やはり一刻も早く元の世界に戻りたいのではないだろうかと考える。こうして日本に居続けることは、ウルヴァーンにとって本当は苦痛なのではなかろうか。
「頑張るから、待っとって」
「がんば まっと?」
「うん、頑張るから」
 ウルヴァーンは彼女の言葉を正しく理解していないようだが、漂然とした様子を崩すことなく微笑んだ。その笑顔を見て、反射的に胸がきゅうっと苦しくなる。
 ――ああ、もう、やっぱ駄目やなあ。
 王子様、とつい口ずさみたくなるのは多分、彼女の想像のありのままの姿がそこにあるからだ。理性とは別に、刷り込みの如く心の内側に入るに容易いその見目は反則だと思う。ヒバリだって年頃の女の子なのだ、夢ぐらい見たいときもある。
 だけどそれを魔術師の自分と重ねてはならないし、冷静に物事を見据えなければならない。
 ヒバリはウルヴァーンから目を背けてアズの肩を叩いた。
「アズ、わたし今から夕食まで地下に篭るから彼の相手しとって」
「え、あ、うんいいけどヒバリ」
「助けがいるときは呼ぶ」
「……わかった」
 硬い声音に微かな異変を感じ取るも、決して口を割る気がないと即座に見抜いたアズは、物言いたげな顔をするも素直に了承した。ヒバリは鞄を持たない左手をひらりと振ってリビングを出た。
 そのまま地下室へと降り、机に腰を下ろすと学生鞄から一冊のノートを取り出す。それは魔術が施されているのか、年月を感じさせない真新しい紙の束が纏めてある、第二図書室と繋がる洞窟で見つけた重要な資料だった。それを広げて、ヒバリはふんと鼻息を鳴らす。
「あの子はわたしが帰してみせる」
 その役目を誰かに――ましてや祖父に渡してなるものか。
 魔術師としての素質がいかほどなのか、このとき試されているのだとヒバリは奮い立ち、目下の課題に取り掛かった。


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