Act.1-11


 平日の翌朝、居候に見送られてヒバリ達は以前と変わらず登校した。連絡を取り合っていた友人は、数日ぶりに顔を出すヒバリを今か今かと待ち受けていたらしく、玄関先で顔を鉢合わせた瞬間飛びついてきた。
「うぁっ……ミワ?」
「ヒバリィ〜ッもうもうもーう心配したんだからねっこの彼氏がヘタレててなんも教えてくれないしさぁ」
 朝からハイテンションの岩瀬に、ヒバリ達は苦笑を禁じえない。
「ヘタレって。本人の前で言うもんかなぁ」
「あらいたの」
「ずっといたよ! どんだけ影薄いと思われんのさっ」
 小学生と見紛わん低い背丈は、鍛えているとはいえ平均女子の勢いを押し留めるには若干不利だ。後ろに立つアズによろめいた身体を支えてもらい、ヒバリの髪に頬ずりをする岩瀬を呆れ混じりに上目で眺めた。
 いつもより早い時間のため登校する生徒の数がそれほどいないとはいえ、玄関先でイチャつく女生徒に突き刺さる視線は痛く、ヒバリは早々と彼女に解放してもらうべくその肩を叩いた。
「ミワ、目立っとるからもうそろそろ止めて。まずは教室に移動しよ」
「この淡々とした物言いがヒバリよね。快気祝いにコンビニでお菓子買ってきたから昼休みに食べよっか」
「ん、食べる。ありがと」
 ヒバリは岩瀬の喜び様に釣られて表情を和らげる。それを真正面から見た二人に「可愛い!」と抱きつかれて、アズだけに制裁が下ったのだった。


 学校はいつもと変わりなかった。何気なく注目を集める人物とはいえ、数日休んだところで変化など起きようはずがない。岩瀬が授業のノートのコピーを渡してくれたおかげで、遅れをとる心配もなく昼休みを迎えた。
「ふふふーっ見てこれ。こんなの見つけちゃった」
 お弁当と一緒に広げられたのは、自販機でよく見かける飲み物のクッキーだった。ヒバリはまじまじとその箱を手に取る。
「え、こんなん売っとんの」
「そうそう。何買おっかなーってコンビニさまよってたら午後ティーのクッキーなんてあったの。で、調べてみたら森永とキリンのコラボらしいの、ビックリしたわ」
 短めの猫っ毛を弄りながら岩瀬は言い、にこやかな表情でその箱に手を伸ばす。
 そんな時、教室の後方がにわかに騒がしくなった。
 二人はそれとなく視線をその方角へ向け、瞬間、ヒバリは眉間に二本の指をあてて口を引き結ぶ。
 扉に立つのは、煌びやかな微笑を浮かべた王乃宮高校の生徒会長、喜嶋綾人だった。それだけでなく幼馴染の姿も見えるのは目の錯覚か。この二人が揃いも揃ってヒバリのクラスを訪れる辺り、今後の動向が容易に予測出来る。
「香月、生徒会長がお呼びだぞ!」
 ああやっぱり、と思った。
 その呼びかけをきっかけに大多数の視線を浴びて、ヒバリは内心溜息をつきながら椅子から立ち上がった。
「ミワごめん、後でそれ一緒に食べよう」
「あ、いやいいけど、後で何があったか教えなさいよ?」
「もちろん。じゃ、またあとで」
 岩瀬の目が好奇心に満ちて妙にぎらついていたが、語る程に彼と親しくないというのがヒバリの見解である。
 ともあれ、ヒバリは彼等の横を颯爽と通り過ぎて歩き出した。この場に留まる時間が長くなるに比してその注目度は濃いものへと変化していくことは容易に知れたからだ。
 彼等はヒバリを間に挟んで堂々と廊下の中央を闊歩しだした。誰もが文句をつけるどころか、異様な組み合わせに瞠目して自然と隅へと移動し、さながらモーゼの十戒を浮かばせる光景である。しかしヒバリの表情が硬いのは、それについてではなかった。
「香月、今日はあまり機嫌が良くないみたいだね」
「誰のせいだと思ってるんですか」
 喜嶋の麗しい微笑に対して、ヒバリの態度は普段の倍増し、氷山の如く冷たかった。淡々とした物言いに多分な棘が含まれるどころか、眼鏡の奥の瞳は鋭く細められている。
「あのですね、会長。わたしは色恋に鈍感な方ですけど、会長に熱をあげている女子が多いのは知ってます。会長もそれを今までわかってて人気のない時間を選んできてくれてたんですよね。それをこうしてぶっ壊したからには余程の用事があると思うのですが。そうやないなら怒りますよ」
「ヒバリ気付いてたんだ」
 アズが驚愕に凝視めているのを尻目に、ヒバリは誰とも視線を合わす気がなくまっすぐ前を見据えている。喜嶋は彼女の様子を心底面白がっているようで、「怒られるのは嫌だな」とまったく本気で取り合う気のない口調で答えた。
「けれど生憎今回は大事な用件でね、生徒会長ではなく理事長の子息としての僕が君を呼びに来たんだよ」
 ヒバリは足を止めて、ようやく喜嶋に顔を向けた。この頃には、既に人混みの溢れた廊下を過ぎて、旧校舎に差し掛かる通路まで辿り着いていた。目的地も聞かずに歩いてきたとはいえ、人気のない場所を選んだのはヒバリなりの配慮である。
「理事長……」
「理事長ってあれだよね、鷹槻さんの知り合いとかいう」
「というより」
 喜嶋は色素の薄い瞳を柔らかく細めて、いつになく年相応の悪戯めいた笑みを浮かべた。
「魔術師関係、と言った方が正解かな」


 新校舎に引き返し最上階に設けられた理事長室にいたのは、五十台半ばの男と二十代後半に見えなくもない青年だった。前者は会長と同じロイヤルミルクティーの髪色に白が混じりはじめ、刻まれる皺は年相応の渋みを与えるだけで、若かりし頃はさぞ眉目秀麗だったことが窺える。
 理事長、喜嶋利彦は正面のデスクに座り、優しげな微笑を落とした。
「理事長、香月雲雀さんと武元亜子君をお連れしました」
「直接顔を合わせるのは初めてですね、お嬢さん方。とりあえずそこのソファに移動して話をはじめましょうか」
 初めて訪れた理事長室は、シックな内装に整えられている。一面に暗めの赤い絨毯が敷かれ、左側には給水室、右側には客をもてなす硝子テーブルと黒革のソファが設けられており、ヒバリ達は理事長とその息子と対面するように腰掛けた。反対側の扉を出入りした青年が、お盆に用意したお茶菓子を各々の前に置いていく。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
 頭を垂れてお礼を言うと、黒髪を横に流した彼は、眼鏡の奥の眼をゆるりと細めて、怜悧な面立ちを崩した。
「この男は私の秘書の秋月といいます、今後も彼とは顔を合わす機会があるかと思われるので先に紹介しておきますね」
「秋月徹と申します、よろしくお願い致します」
「もうお知りになられているようですけど、香月雲雀と申します。そしてこっちは武元亜子です。こちらこそよろしくお願いします」
「よろしくお願いしまーす」
「それで理事長、さっそく本題に入っていただきたいのですが……」
 理事長の視線は先程から一寸足りともヒバリから外れず、尚且つその表情は眩いばかりに輝いている。
「……あの、何か?」
 ヒバリは怪訝げに問いかけた。
「あの鷹槻のひ孫であり、うちの綾人が目をかけているというからどのような女性かと常々思っておりましたが」
「お父さん」
「どうした綾人」
 喜嶋は普段の煌く微笑を嘘のように苦々しげに歪めるも、理事長は何処吹く風だ。
「綾人だって喜んでいたじゃないか、香月さんと堂々と接触できる機会が出来ると」
「はい?」
「何を言って……っ時間もそうないことですし、香月のことよりも、まず彼女が口にした本題を済ませた方が良いのではないですか、お父さん?」
 最後の呼びかけの部分がやけに強調された物言いに対して、顔を見合わせた理事長と秘書はやけににこやかだった。


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