Act.1-7


 自分の幼馴染がモテることを、この十五年間一緒にいるアズは骨身に沁みる程によく知っていた。
 可愛い方ではあるけれど、絶世の美少女というわけではない。お菓子に例えるなら、綿菓子みたいなふんわりとした甘さが漂う可愛らしさ。とはいっても実際のところ、中身は真逆の性質を備えているので、外見上の魅力なんて軽々と吹き飛ばされてしまうのだが。
 しかしそれを知らない男達からすれば、幼馴染の自分は憎き恋敵らしい。高嶺の花とまではいかなくとも、独特の雰囲気を纏う彼女に易々と近寄る輩はそういない。
 そのおかげで、ヒバリの鈍感さに見事玉砕した柿本には日がな一日後ろの席から怨念の篭る抹殺ビームを送られ、ヒバリの友人の岩瀬には「彼氏なんだから見舞いに行きなさいよね」と誤解を招く発言を堂々とされてしまい、放課後に第二図書室の後片付けの最中、邪魔するが如くやってきた生徒会長には存分にからかわれた。
 数日を経た今、心身共に限界に近付きつつあった。すなわち、疲れきっていた。
 そもそもアズは、殆どの者は誤解しているようだけれど、根無し草の生活の方が性に合っているのだ。人懐こい性格である自覚はあるし、人と接するのは楽しいと思う。だからといって、一定の場所に留まるのが慣れるわけではない。
 ここにいるのは、あの子のためだ。
 瞬く間もなく己のすべてを掻っ攫われてしまった、あの子と一緒にいるため。
 それなのに愛しの彼女は、この数日ベッドから起き上がらない。さながら眠り姫のように、目覚める気配を見せず、呼吸をしていないと勘違いを起こすほどに深く深く、眠り続けている。
 最初、地下で倒れたヒバリを発見した時は驚愕し、これ以上ないくらいに動揺した。
 魔力を消費しすぎたのが原因だとはすぐに知れたが、それでもと思う。肝が冷えるとはこのことだ。
 彼女はまだ十五歳、魔術師としては三年しか経ていない、まだまだ発展途上なのだ。彼女の素質を――自分の上に立つ者の資格を一目で見抜いたのはアズ自身だけれど、だからといって無茶をされるのは本意でない。
 今回のことで、より実感することとなった。長生きをしていることが、頼りになることと決してイコールで繋がらないということ。自分より幼いはずの彼女は年齢を重ねるに比して揺るぎない精神を育て、それを彼女の曽祖父がさらに磨き上げた。それを見守ってきた自分は一体何をしてきたか……ぬるま湯に浸って、傍にいられる喜びだけを享受しただけではないかと。
 自分の父親が以前、魔術を学ぶヒバリを共に見守りながら告げた内容を、今さらながらアズは実感する。
 ――お嬢様は鷹槻様がおっしゃっていた通り、将来偉大な魔術師におなりになるだろう。この世界の魔術師は、本人の意思は関係なく平穏という言葉と無縁の人生を送る者だ。あちらの世界でも平穏無事に過ごせた者はごく一部らしい。……わかるか、アズ。お前もまた、私と同じ魔術師を主に定めた龍だ。その方に仕える龍族が、いざという時に役に立てなければ何のための我等か。お前はヒバリ様に、何ができる?
 主に関してのみ甘い父が、常と変わらず淡々と言った言葉に、アズは笑って「おれにできないことはないよ」と返した。自信はあった。父も否定はしなかった。けれどその慢心ぶりが今はとてつもなく恥ずかしい。
 父は肯定していたのではなく、心身共に未熟な龍に身をもって解らせようとしたのではないかと。彼女にとっても、お荷物にならなくとも頼りになるとまでは認められていないのではないかと……アズは眠る少女をそう複雑に見下ろして日々悶々と過ごしていた。
 ――それに、なぁ……。
 帰宅して脇目も振らず向かうのは、幼馴染の部屋だ。ノックもなしに勢い余って開いた扉の先には、アズが頭を抱えるもうひとつの原因が、やはりというべきか、ここにいた。
 ベッドの端に腰掛けて、彼女の波打つ栗色の髪に指を絡めて、優しげな笑みを口許に浮かべている。あの豪奢な服装でなく、ワイシャツにジーンズの清潔感溢れる格好は、未発達な身体を覆う褐色の肌とのコントラストが相俟ってやけに色っぽい。長い前髪に隠されていない右目の菫色は何度目にしても美しく、同性だとわかっていても見惚れてしまいそうになる。
『……ああ、カナタかと思えばアズの方か。おかえり、学校は終わったのか?』
 彼こそが魔術陣に倒れていた少年、ウルヴァーンだった。
 隙のない、けれどそう感じさせないひどく気だるげな物腰。幼い見目に見合わぬ大人びた言葉遣い。敵愾心を抱かせぬ友好的な態度は、アズの警戒心を一気に萎えさせてしまう。
 何より――彼が口にする、言語。
「ウルヴァーン、こ・と・ば」
「ああ……こちら は はなす ない まだ」
「うぁ、すげー上達してるーゥ!」
 アズは本気で感心の声をあげた。何を言っているのか理解は出来ていないようだが、ウルヴァーンは相手の驚いている様子から大体の意味を感じ取ったらしく苦笑を滲ませながら肩を竦めた。
 ウルヴァーンが目を覚ましてはじめに発したのが、この世界で使用されていない言語だった。大量の知識を蓄える龍族と、多様の言語を操る魔術師と、その他一部の者を除けば、地球上で彼と通じ合える種族は皆無といえよう。だからこそアズの推測は確信に変わった。
 魔術陣の効果、正体不明の子供がどこから来たか――異世界、という回答が弾き出された。
 そもそもその容貌と服装からして、日本のど真ん中にいること自体おかしいのだから、それについてはそう驚かなかった。むしろ覚えるのは好奇心だ。
 そもそも龍族と魔術師はどこから発生したのか……勿論地球では、ない。彼等はあちらの世界、【ファルナーサス】と呼ばれる大地からやってきた。
 地球と別次元の、距離的な表現は似つかわしくない、違う場所からこちらに移動した。その証拠に、当時を知っている龍族が未だに生きていたりする。何故地球に訪れたか理由は定かでなく、単なる気まぐれととってもいいのだが、とにかくそういう訳で現在この世界に希少なりとも存命している。
 その間、彼等はあちらの世界についての知識を様々な方法で残した。
 ウルヴァーンが使用する言語は、ファルナーサスで世界共通言語と認識されている【ファルナース語】。
 魔術師が唱える言語は、そのものが力を持つとされる【オルシアン言語】。
 特に後者については、ファルナーサスを創造したとされるオルシア神に由来するらしい。世界の根本というべき彼の言語が、年月を経て変化していき、ファルナース語が確立されたともいわれている。
 なにぶん違う世界の常識なので、理解はできても実感はなく、文字に綴られた内容を鵜呑みにしているだけといった印象が否めない。外国のように簡単に行ける場所ではないから、物語の設定資料を知るような感覚でしかなかった。
 それが今、目の前に異世界から来た人間がいる。
 これが興奮しないでいられようか。ヒバリと何度もお遊び感覚で口論した御伽噺に出てくる王子様の容貌をしているとなれば、尚更気になってしょうがない。
 けれどそれ以上に――彼を不審人物だと捉えている自分がいる。
 それがアズの苦悩するもうひとつの問題だった。
 ウルヴァーンの素性が未だはっきりしていない、といえば簡潔だろう。過去についてとやかく言うつもりはないけれど、どうして魔術陣に倒れていたか、地球に来るまでの過程ぐらいは知りたいと思うのは、ひとつ屋根の下で共に暮らす身としては当然だと思う。そもそも覚醒してからの彼の動向が、アズの疑問を掻き立てるのだ。
 なんというか、平然としすぎていた。
 あの格好からして、こちらとあちらでは常識の根本が異端という程に違うだろう。それなのに真新しいことに対して、ウルヴァーンはたびたび不思議そうな顔をし、けれど説明されると笑って受け入れる。それだけなのだ。ああそうなんだ、とあっけないほどに、簡単に微笑むだけ。もし自分だったら、そんな単純に事は運ばず、暫くの間混乱して行動に移すこともままならなかっただろう。アズでなくとも、多少は弱気な態度を覗かせるはずだ。
 それが彼の場合、心の底からなんとも思ってないとばかりに飄々としすぎていた。翌日には目白に頼んで暇な時に日本語を教えてもらい、言葉の通じない彼方とは身振り羽振りでコミュニケーションを交わし、あっという間に香月家に馴染んだ。そのことがどうしても引っかかっていた。
「ウルヴァーン、今日もずっと家にいたの?」
「きょう ずと いえ」
「ああうん、そこまでは理解できてないか……」
 指折り数えて四日目。頭の回転はそこらの人間と比べ物にならないくらい良い。この調子だと一ヶ月後には一人で外を出歩くことも平気になるだろう。
 そのときが、怖い。
 何も考えていないようで、着実にこの世界に順応していく様が、ウルヴァーンの読み取らせない内面をより不気味に浮き彫らせる。
 アズはベッドに眠る少女に近付き、その頬に手を滑らせて一撫でする。ウルヴァーンはそれを変わらぬ笑顔で眺める。柔らかい、血色の良い温かさが伝わり、ほっとする。
「ヒバリ……」
 早く、目覚めてくれよ。
 声にならない願いは、翌朝になって叶えられた。


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